全く新しいことを創造した時に、自然科学では発見と言います。
そしてビジネスの世界でも発見という言葉があり、またそれはビジネスチャンスでもあります。
発見は独創とも言い換えることができますが、ではこの独創はどうすれば出てくるのでしょうか。
元大学教授で、エッセイストの外山滋比古は「ライフワークの思想」という本の中で以下のように言っています。
『発見するには、成心があってはならない。なんとかして発見してやろうというような緊張があってはならない。心を半ば空しくしている虚心の状態の必要がある。
セレンディピティという言葉があるように見つめる鍋は煮えないのであり、ある程度「置く」必要がある。』
上記の言葉通り発見は発見しようと思ってできるものではなく、その考えを『置いている状態』が続いた時に、ふと自分自身に発見が降りかかる時があります。
それを待てと筆者は言いたいのです。
また同著者の同じ本に、
『Aということを明らかにしたいときに、それをあらわすことばがなければ、そのAはことばであらわすことができない場合、それは概念上存在しないと同じである。』
と言う一文があります。
その時に著者は比喩を使ってでも表現をする必要があると言っています。
そして確かに人は自分自身に頭だけの発見をすぐに忘れてしまう傾向にあります。それはその時の自分の頭だけが理解しており、その後の自分でも理解できる言葉で残さないと自分自身で覚えて置くことすらできていない状態になってしまっているためです。
何らかの発見、ひらめきがあった時、私はとりあえず自分自身に説明するように自分のことばでメモに乱文で書きます。
それは頭の中だけの考えを比喩を使って表現していることでもあるため、そうすることにより考えは言葉として残り、発見を自分のものにできるのです。
(峯岡)