お客様から、若い人の定着率が悪いという話をよく耳にします。
ここ10年ほど若年者の離職率が3年で3割という状態が続いています。
その背景には、インターネット等の普及、就職支援会社の増加等により、以前よりも転職がし易くなったことが考えられますが、転職する理由にやや問題があるような話を聞くことがあります。
転職する理由は人それぞれ、様々な事情があり、個人的には転職自体が悪いこととは決して思いませんが、なかにはそんな理由で辞めてしまうの?と思うようなケースもあります。
ある幼稚園のケースでは、若手の職員に学級担任を任せたところ、数か月後に退職願が出され、その理由を聞くと、責任が重いのが嫌だったからと。
また別のケースでは、正規職員にならないかと相談したところ、非常勤のままの方が大変じゃないからいいと。
これは稀なケースで、多くの場合は違った理由で退職していることと思いますが、、このような責任ある立場を任されることから、逃げるように辞めていく話を聞くと、なんだか悲しい気持ちになります。
話しは変わりますが、最近私が読んだ本で、城山三郎氏の『打たれ強く生きる』といった本があります。
その中にこんな話がありました。
(以下引用)
「 新人の立場に立ってみると、就職はしたものの、思いがけぬ職場に配属されて、「こんなはずではなかった」と思っている人もあるかも知れない。
就職ではないが、わたしが少年の日、志願入隊した海軍がそうであった。
夢にえがいていたのとはちがい、ふやけた士官、凶暴な下士官、意味もない訓練、常識はずれの罰直…と、心外なことの連続であった。―中略―
考えてみれば、人生はこうした悔いのくり返しである。
とすれば、悔いるだけでなく、とにかくその中に入りこんでみて、得られる限りのものを吸収し、そこから出られる日を待つしかない。
日本化薬の原安三郎さんがそうであった。
化学会社に就職したのに、配属された先が飯場の炊事係であった。思ってもみなかった職場である。
だが、原さんはくさらなかった。
米の仕入れひとつにしても、「どこの米がうまいか」、「米の値段にどういう違いがあるか」、「品質のちがいとどう関係があるのか」―中略―
等々、調べる気になれば、勉強する材料はいっぱいあった。―中略―
そして、勉強して行くと、次から次へと、また勉強の材料が出てきた。
最初はつまらないと思った日々の仕事にも、はりが出てきた、という。―中略―
それは、どんな職場についてもいえると思う。初心である限り、人生はいくらでもひろがって行くものなのである。」
私を含め、つい人は、うまくいかないことを、他人のせいや環境のせいにしてしまいがちです。
ですがこの本にあるように、どんな環境にいても、志次第で、そこで何かを吸収し、得られるものがあると思うのです。
南宗の儒者 蘇老泉の言葉でこんな言葉があります。
「功の成るは成るの日に非ず。 けだし必ず由って起こるところあり。
禍の作るは作るの日に作らず。また必ず由って兆すところあり。」
成功も失敗も必ず原因があって起こるもの。その原因を作っているのは日々の自身の行いによるもの。
不平不満をもらすのではなく、どんな環境にいても自ら進んで学んでいく姿勢を持って、日々取り組んでいきたいものですね。
川西 慶治