文学や映画、音楽などの表現にはメタファー、すなわち暗喩が込められている場合が多いです。
例えば、寓話『アリとキリギリス』の話は明らかに真面目にコツコツしましょう、という意味が込められているのがわかります。
いわゆるネタバレに繋がるため多くは書かないですが、映画でも『スターウォーズ』では題名通りSFがまず目に止まりますが、明らかに父と子の話が内在されています。
上記のように、一見すると幼児向けの話の中には強烈なメタファーが込められている場合が多く、世代を超えて愛される寓話や音楽はその傾向が強く表れています。
幼児向けの音楽の例をあげると『およげ!たいやきくん』という歌があり、この歌は幼児向けにも関わらず過去に大ヒットしました。
この歌にもやはり暗喩が込められています。
出だしが「毎日、毎日~嫌になっちゃうよ。」とありますが、日常から逃れたいと願望を持ったタイヤキくんが、「店のおじさんと喧嘩して海に飛び込み」ます。店のおじさんが社長と捉えれば、これはサラリーマン哀歌に早変わりします。
そういう目で見ていくと、最初は日常(仕事)からの解放感で楽しめてはいたが、お腹がすいて目の前にあった小さな釣り針で釣られてしまうというのはなんとも言い難い皮肉があります。
最後には「やっぱり僕はただのタイヤキであり、しかも焦げのある、普通のタイヤキですらなく、むしろ出来損ないである」と悟ったのちに、釣り上げた見知らぬおじさんに食べられてしまいます。
また有名な話ですが、アンパンマンは自己犠牲を表現していると言われていますが、他方ではカニバリズムを推奨していると取られてしまうと聞きます。
しかし、「自己犠牲とそれに伴う飢えからの救済」という捉え方ができた方が良いとは思えませんか?
要は見る側や受ける側、それぞれの立場からの人の捉え方次第であると思います。作り手が発表した後の作品は作り手の元から離れ、様々な人の鑑賞を経て『作品』となっていく、という考えを示した作家がいました。
先日甥っ子とその家族と奈良の大仏を見に行きました。
甥っ子は大仏を見て「ウルトラマンだ!」と大きな声で言い、その場は恥ずかしかったのですが、後になってこの話を友人にすると「ウルトラマンの口は『アルカイックスマイル』といって、仏像などの口元を参考にしている」とのことでした。